ユタだった祖母との不思議な思い出。

いつも読んで頂きありがとうございます^^
ミフネレイドです。

まだまだ寒い日が続きますね。
皆さま、体調にはお気を付けてくださいね。
我が家には高校受験を控えている息子がおりますので、
家族一同、体調管理しなきゃ!と気を引き締めております(>_<)

さて、今日は、沖縄の霊能力者であるユタだった祖母との不思議な思い出について書いてみたいと思います。

その前にユタについて簡単にお伝えしますと、沖縄や奄美大島で活躍する霊媒師やシャーマンと言われている人たちのことで、歴史は琉球王朝時代に遡ります。

琉球王国が女性神職として置いたのが「ノロ」と言われている人たちで、民間で人々に寄り添い霊感を使ったお悩み相談、土地・屋敷の浄化除霊、亡くなった方を成仏させてあげていたのが「ユタ」です。

わたしの祖母は「ユタ」として活動していました。
そんな祖母とのちょっとした不思議なエピソードを。

祖母は運転免許を持っておらず、いつも子供達(母たち)が付き添って活動をしていて、わたしも物心がついたときから祖母の拝み(祈り)について回ることがありました。

30年以上前にナビはなく、祖母が神様からのナビゲートを受けて母が車を走らせ、「こんなところに本当に拝所(うがんじゅ)はあるの?」と手入れのされていない草が荒れ放題のところを棒で草をかき分けながら進み、ちゃんと拝所があって無事に拝みができたんです。ついていく側はあまりの状況に少し不安もありますが、祖母の霊感への信頼が厚かったため、「行かない」という選択肢はありませんでした。
そういう意味では、祖母が神事をするのに良い環境だったんだなと思います^^
子供達(母)は振り回されているように感じたようですが。笑

また、祖母の家にお泊まりしたときは、いつも19:00頃に「玄関、開けときなさい、みんなが話に来るから」と、霊の話を聞いてあげるという時間がありました。
祖母は玄関に向かって座り、祖母の前に霊が並ぶ、という状況です。

わたしはその様子を見て、「怖い」と思ったことは一度もなく、普通に「は~い!」と玄関を開けにいき、祖母が霊と話す様子を側でみていました。笑 今でも鮮明に覚えています。

時折、歴史上の人物も訪れていたようで祖母が「エリザベス○世は何をしたのかね?なんで死んだかね?」と聞いてきたので、社会の教科書に載っていないか探したこともあります。笑

わたし自身は霊が見えていたのかというと、たまに気配を感じたり姿が見えることはありましたが、祖母ほどの力はありませんでしたし、わたしも同じように見たい!とも当時は思いませんでした。

なんというか、お母さんが料理をしていて、それを側でみるのは面白いけど、作りたいとは思わないという感じ(・∀・)
伝わりますか?笑 

いまとなっては祖母に聞きたいことや教えて欲しいことが山ほどありますが、わたしがこの仕事をする前に亡くなってしまったんです。。。あのとき、もっと興味を持っていたらな~と思いますが、これも縁ですね^^
今は見えない場所からサポートをしてくれているので有難いです。
けれど、やっぱりコミュニケーションは「生きている間」に勝るものはありません。

わたしは祖母とは異なる宇宙観でユタと名乗ることはありませんし、成仏や除霊をすることも今のところありませんが、巡り巡って同じように見えない世界に携わっていることは誇りに思います。

歳を重ねていくうちに、本当の意味で深い部分でご先祖様へ感謝ができるようになりましたし、ルーツの大切さや神秘を感じています。

最近は祖母が通っていた拝所の龍神様から声がかかり手を合わせにいき、そのときも、いや~感慨深い!!と時空を超えた“繋がり”に感謝しました。「次はあなたの番」と、言葉というよりテレパシーのような感じで脳内にスッと入ってきたんです。

人それぞれいろんなドラマがありますが、わたしにとってもこの体験はドラマの一部となり今世の良い思い出で、宝物だなとほっこりしますね♡

少し、話が逸れてしまいましたが・・・いかがでしたでしょうか^^?

こんな世界もあるんだな~と楽しんで頂けて、
見えない世界は身近なものだよ、ということも伝わると嬉しいです♡


この記事が気に入ったら
フォローしてね!

  • URLをコピーしました!
目次